サイコロの目は運で決まるように見えます。でも、投げた力、回転、床の状態をすべて正確に知っていたら、出目を計算できるでしょうか。ラプラスの悪魔は、この問いを世界全体まで広げた、架空の知性です。
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世界のすべてを、一つの計算で見通す
数学者ピエール=シモン・ラプラスは、『確率についての哲学的試論』で、自然の力と世界の状態を知り、それを分析できるほど大きな知性を想定しました。その知性には、過去も未来も見えるという発想です。
後に「ラプラスの悪魔」と呼ばれるようになりましたが、恐ろしい怪物の話ではありません。完全な情報と計算能力を持つものを想定し、法則と予測との関係を考えるための名前です。
決定論と、予測できることを分ける
決定論は、ある時点の状態と法則によって、その後の状態が定まるという考えです。一方、予測可能性は、知っている情報や計算方法を使って、結果を言い当てられるかという問題です。
例えば、複雑なプログラムの出力が入力によって決まっていても、人がコードを見ただけで、すぐに答えを出せるとは限りません。計算に時間がかかる、必要な入力が分からない、といった問題があります。
| 問い | 確かめたいこと |
|---|---|
| 未来は決まっているか | 同じ状態と法則から、後の状態が一つに定まるか |
| 未来を予測できるか | 観測と計算で、その状態を知れるか |
| 自分の選択は自由か | 理由や欲求に基づく選択を、どの意味で自由と呼ぶか |
カオスは「法則がない」という意味ではない
バタフライ効果では、小さな初期状態の違いが、後の大きな違いにつながります。ルールが決まっていても、最初の状態にわずかな誤差があると、遠い先の予測が難しくなります。
このとき、予測が難しいことだけで、未来の状態が決まっていないと証明したことにはなりません。完全な情報を仮定する悪魔と、限られた観測を使う私たちは、置いている条件が違います。
逆に、世界に法則があるから人間も何でも予測できる、と考えることもできません。法則を知ること、状態を測ること、計算を終えることは、別々の段階です。
量子力学では、古典的な前提をそのまま使えない
ラプラスの発想は、位置や運動量などの状態を、完全に把握できるという古典的な世界像と結びついています。量子力学では、位置と運動量の分布の広がりに、不確定性関係があります。MITの量子物理の講義も、この関係を扱っています。
これは単に測定器の性能を上げれば消える誤差という話ではありません。古典的な粒子について、すべての位置と運動量を同時に無限の精度で並べる、という前提を、そのまま持ち込めなくなります。
ただし、そこから「量子力学によって自由意志が証明された」と進むことはできません。量子論の解釈や、何を決定論と呼ぶかという問いと、人が自分の理由で選べるかという問いには、さらに議論が必要です。
偶然に決まれば、自由になるのか
仮に自分の選択が完全な乱数で決まるとしたら、それを自由と呼びたいでしょうか。明日どこへ行くかが、本人の希望と関係なく抽選されるなら、むしろ自由が減ったようにも感じます。
この例からも、「決まっていないこと」と「自分で選んでいること」が同じではないと分かります。自由意志を考えるときは、選択の理由、強制の有無、考え直す能力など、どこに注目するかを明らかにする必要があります。
行動も、未来を作る原因の一部
決定論を聞いて、「努力しても何も変わらない」と感じるかもしれません。でも、自分が勉強する、相談する、プログラムを直すという行動も、その後の結果へ影響する原因です。
すべてが法則に従うと仮定することと、何をしても同じ結果になることは違います。バグを直せば動作が変わるのは、プログラムが規則に従っているからでもあります。
ラプラスの悪魔が面白いのは、未来を見通す存在を想像すると、普段ひとまとめにしている「法則」「知識」「予測」「選択」が分かれて見えることです。その違いを残したまま考える方が、未来はずっと奥深くなります。
