ここでは、日常会話で使える知的な小話と、実際の使用例を紹介します。
コモンズの悲劇
コモンズの悲劇とは、アメリカの生物学者であるギャレット・ハーディンが提唱した、多くの人が利用可能な共有資源が乱獲されることで、その資源が枯渇してしまうという経済学上の法則です。
例えば、何も規制が無ければ海にいる魚は共有資源とみなされ、誰でも捕まえて食べることができます。
タダで魚を得られるとなると、多くの人が海に集まり、我先にと魚を乱獲し始めるでしょう。
最初は広大な海で大量に生息していた魚も、度を越えた乱獲が続くと徐々に少なくなっていき、最後には魚が獲れなくなってしまいます。
適度に魚を捕まえていれば全員が利益を得られていたにも関わらず、過度に捕獲が進んだため、全員が不利益を被ることになるのです。
もし海が自分の所有物であれば、継続的に漁を行うために過度な乱獲は抑えるはずです。
海が共有物であったためにこのような事態が起きるのです。
まさにコモンズ(commons:共有物)の悲劇と言えます。
コモンズの悲劇を防ぐためには、その資源に規制をかけたり、誰かに所有権を与えたりするなどして、誰もが使える共有物ではなくする必要があります。
人は愚かな生き物?
このようにコモンズの悲劇を遠くから眺めていると「何で全員が不利益を被るのに乱獲するんだろう」「人は自分勝手で愚かだな」と思うかもしれません。
しかし、ゲーム理論の視点からコモンズの悲劇を見てみると、人は合理的に行動していることがわかります。
再び海が共有物で、誰でも魚を得られる場合の例で考えてみます。
この時、個人の選択肢としては「①魚を獲らない」と「②魚を獲る」の2つがあります。
「①魚を獲らない」を選んだ場合、他の人がどんな行動をしようと、個人の利益は当然0です。
一方、「②魚を獲る」を選んだ場合、他の人が「①魚を獲らない」を選択した場合、個人として大きな利益を得ることができます。(ここでは利益10とします)
しかし、他の人も「②魚を獲る」を選んだ場合、最初に少しだけ利益を得ますが、資源の枯渇によって利益は長続きしません。(ここでは利益1とします)
こうした条件において、個人の行動と他の人の行動の組み合わせと、得られる利益の関係は以下のようになります。
表を見てわかるとおり、他の参加者の行動がどうであれ、個人としての利益を最大化する行動は「②魚を獲る」だということになります。
よって、たとえ資源が枯渇しようとも、個人としての最適な行動は、資源の乱獲に参加することなのです。
こうした個人の最適な行動が、全体としての最適な行動とは異なることを、ゲーム理論では合成の誤謬(ごびゅう)と呼んでいます。
以下記事で紹介している囚人のジレンマは、合成の誤謬を示す例として非常に有名です。
合成の誤謬を防ぐためには、行政などによる第三者の介入が不可欠です。
日常会話での使用方法
「無料のAVばかり見てるから、新しいAVが作られなくなってるみたいだよ」
「コモンズの悲劇じゃん・・・」
本サイトで紹介している用語一覧は以下です。