日本人が外出自粛を守らない理由をゲーム理論の視点から考えてみた

2020年4月7日に日本政府は緊急事態宣言を実施

2020年の初めから急速に拡大を続ける新型コロナウイルスの拡散防止のため、日本では2020年4月7日に緊急事態宣言が行われました。

ただし、緊急事態宣言といっても不用意な外出をすると罰則があるヨーロッパの国などとは異なり、日本では国民に強制的に何かを強いることはありません。

政府は要請という形で国民に不要不急の外出の自粛を依頼しており、国民同士の接触の機会を減らし、新型コロナウイルスの抑制を図っています。

実際、多くの企業はテレワークを導入したり、企業活動を停止したりしていますし、多くの国民は仕事は自宅で行い、休日も無駄な外出をすることなく、自宅で過ごすようにしています。

しかし、中には「今ならどこでも空いている」「普段いけない場所に行くチャンスだ」と言わんばかりに政府からの自粛要請を守らずに、遠くに出かけたり飲み会を開いたりしている人もいます。

大半の人は一刻も早くウイルスの感染を収束させるために我慢の日々を送っているにも関わらず、こうした一部の人がいるせいで、感染者の増加のペースはなかなか落ちません。

さて、こうした人たちはなぜ外出を自粛せず、遊びに行ってしまうのでしょうか。

ここでは、ゲーム理論の視点から、世の中が活動自粛ムードの中、外出を止めずに遊びに行ってしまう人々の考えについて考察していきたいと思います。

ゲーム理論って何?

外出自粛とゲーム理論について話をする前に、そもそもゲーム理論とはどのような学問なのかを紹介したいと思います。

ゲーム理論とは、複数の参加者が存在する状況において、行動に対する意思決定を数学的に分析する学問です。

例えば、2人でじゃんけんをする時、自分と相手はそれぞれ「グー」「チョキ」「パー」の3つの選択肢を持っており、相手が選んだ手によって自分が出すべき手が変わります。

相手が「グー」の時は「パー」が、「チョキ」の時は「グー」が、「パー」の時は「チョキ」が最適解になります。

このように、他の参加者の行動を考慮し、それぞれの参加者の合理的な行動を考えることがゲーム理論です。

ゲーム理論という楽しそうな名前ですが、ファミコンやプレステについて勉強する学問ではありません。

以下の記事で紹介している「囚人のジレンマ」は、ゲーム理論をわかりやすく学ぶのに最適な話です。

なぜ日本人は外出を自粛しないのか?

さて、コロナウイルスが蔓延している中、日本人はなぜ外出を自粛しないのかについて、ゲーム理論の視点から考えていきます。

前提

休みの日、全ての個人には「遊びに行く」「家にいる」の2つの選択肢があります。

そのため、ここでは「自分」と「他の人」の2つの参加者が「遊びに行く」と「家にいる」の2つの行動をした際の組み合わせと、その時の「自分」の利益について考えていきます。

前提として、「自分」にとって「遊びに行く」の方が「家にいる」よりも楽しいとし、他の人が「家にいる」を選べばコロナウイルスが縮小して皆が幸せですが、「他の人」が「遊びに行く」を選んだ場合、ウイルスの拡大は止まらないので皆が不幸になるとします。

「自分」だけの行動でウイルスの拡散度にはほとんど影響がないので、「他の人」が「遊びに行く」「家にいる」のどちらを選択したかでのみ、ウイルスが拡大するか縮小するかが決まります。

この前提のもと、「自分」の行動とその行動を選択した際の利益について考えてみます。

「自分」の利益を分析

「自分」の行動はウイルスの拡散/収束に影響がないため、「他の人」が「遊びに行く」「家にいる」のどちらを選択しても、「遊びに行く」の方が利益が大きいです。

「自分」がウイルスに及ぼす影響は皆無であるため、自分が楽しいかどうかで行動を選択した方が大きな利益を得られます。

「遊びに行く」喜びを「+1」とし、ウイルスが収束する喜びを「+10」とした時、個人の利益を図で表すと以下のようになります。

「自分」も「他の人」も「遊びに行く」を選択した場合は、ウイルスは収束しませんが、遊びには行けたので「+1」です。

「自分」が「遊びに行く」を選択し、「他の人」が「家にいる」を選択した場合、ウイルスが収束し、遊びにも行けるので「+11」です。

「自分」が「家にいる」を選択し、「他の人」が「遊びに行く」を選択した場合、ウイルスも収束せず、遊びにも行けないので「+0」です。

「自分」も「他の人」も「家にいる」を選択した場合は、遊びに行けませんが、ウイルスは収束するので「+10」です。

ここで注目したいのが、「他の人」の選択がどちらであれ、「自分」は「遊びに行く」を選択した方が大きな利益を得ているという点です。

ゲーム理論ではこれを支配戦略と言います。

個人の利益を最重視して合理的に行動するならば、「自分」は支配戦略(=遊びに行く)を行うのが正しいということになります。

「他の人」の利益を分析

「他の人」にとっても条件は同じです。

視点は変わりますが、「他の人」の各々にとって、利益は上述の「自分」の効用と等しいので、図に表すと以下のようになります。

※青字が「自分」の利益、緑字が「他の人」の利益を表す

ややこしいですが、「他の人」にとって「自分」は「他の人」なので、利益は丁度「自分」から見たものをひっくり返したような形になります。

「他の人」にとっても、「自分」がどの戦略を取ろうが、「遊びに行く」を選択した遠きが最も高い利益を得られることがわかります。

そのため、「他の人」にとっても支配戦略は「遊びに行く」を選択することになります。

「遊びに行く」×「遊びに行く」がナッシュ均衡

つまり、それぞれが個人にとって最適な行動をした場合、「自分」も「他の人」も「遊びに行く」を選択されるということになります。

これをゲーム理論ではナッシュ均衡と呼んでいます。

それぞれが個人として最適な選択をした結果、「自分」も「他の人」も「+1」の利益を得る結果となりました。

合成の誤謬(ごびゅう)が発生している

しかし、ここで注目すべきは「自分」も「他の人」も「家にいる」を選択した場合の結果です。

この場合、「自分」も「他の人」も「+10」の利益となり、両者が「遊びに行く」を選択した場合よりも両者ともに遥かに高い利益を得ることができます。

全体として最適な解があるにも関わらず、個人の利益を追求した結果、「自分」も「他の人」も損をする結果となっていることがわかります。

これをゲーム理論では合成の誤謬(ごびゅう)と呼んでいます。

自分の利益を重視して皆が「遊びに行く」を選択してしまい、結果的にウイルスが拡大を続け、全員が損をしてしまったのです。

人が自粛せずに外出してしまう理由

これまでの仮定は簡略的なものでしたが、大きく外れてはいないはずです。

政府の要請にも関わらず、人が休日に外出してしまうのは、個人が自分にとって最適な選択をした結果だったのです。

こうした合成の誤謬を避けるには、一人一人が自分の利益だけでなく、全体の利益を考えて行動する必要があります。

「囚人のジレンマ」では、2人の囚人が利己的な行動をした結果、2人ともが重い罰を受ける結果になりました。

愚かな囚人にならないためにも、自分の楽しみのために遊びに行ってしまうのではなく、我慢して国民の皆で一丸となってコロナの収束に向けて行動できるような世の中になることを祈っています。

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