ここでは、日常会話で使える知的な小話と、実際の使用例を紹介します。
ギュゲスの指輪とは
ギュゲスの指輪とは、プラトンの著書である『国家』に登場する、誰にも見られてないと、人間は本来悪いことをしてしまうという例え話です。
ギュゲスという羊飼いは洞窟の中で、自由自在に透明人間になれる指輪を手に入れます。
ギュゲスはその指輪を使って数々の悪事を働きます。
そして、最終的には国の王様を殺し、王権を奪うにまで至ってしまうのです。
この物語は、人間は生まれながらに悪人であるとの考えに基づき作られており、 「性悪説」を取り上げるときに利用されます。
性善説と性悪説
ギュゲスの指輪では、人間は本来「悪い人」であるとする性悪説を支持する一方、人間は本来「善い人」であるとする性善説もあります。
性善説は、中国の儒学者である孟子が提唱した考え方で、全ての人間は生まれながらにして善人であるとします。
そして、基本的に人は善ですが、環境や学習によって悪に汚染されることもあるという立場を取っています。
性悪説は、 同じく中国の儒学者である荀子によって提唱された考え方で、全ての人間は生まれながらにして悪人であるとします。
そして、人は良い行いをすることもありますが、結局はいじめや戦争、虐殺などは無くならないように、結局は悪であるというのが、性悪説の立場です。
小さい子供が無邪気に虫を殺してしまうのも、生まれながらに人間が残虐であることを示しているのかもしれません。
孟子や荀子が生まれた2000年以上前から、性善説と性悪説のどちらが正しいのかは議論され続けていますが、結論は出ていません。
私自身としては、「どちらでもない」が結論だと考えています。
少しズルいような気もしますが、人間は善と悪のような単純な二元論で説明できるものではありません。
人は良い面も悪い面も両方持ち合わせて生まれます。
善の側面が多めで生まれてくる人もいるでしょうし、悪の側面が多めで生まれてくる人もいるでしょう。
そして、教育や経験から様々なことを学び、良い方にも悪い方にも性格が形成されていくのです。
ギュゲスが透明になれる指輪を悪用したとしても、人間が生まれながらにして「悪」であることにはならないのです。
日常会話での使用方法
「ギュゲスの指輪ほしいなー」
「どうせちょっとエロいことに使って終わりだろ」
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