カブトムシの箱:私の「赤」とみんなの「赤」は同じ?(知的な小話24)

ここでは、日常会話で使える知的な小話と、実際の使用例を紹介します。

カブトムシの箱とは

カブトムシの箱とは、オーストリアの哲学者ヴィトゲンシュタインによる思考実験です。

数人が集まってできたグループがあり、各人は中身が入った箱を渡され、それはカブトムシだと伝えられます。

ここで、このグループの全員はカブトムシというものを知らないとします。

各人は自分の箱の中身だけ見ることができ、他メンバーの箱の中身を見ることはできません。

ここで、各人は自分の箱に入っているカブトムシについてのみ話すことができ、互いに同じカブトムシが思い込んでいます。

この時、本当に各人の箱には同じカブトムシが入っていると言えるでしょうか?

互いに箱に入っているものの特徴を伝えても、同じカブトムシが入っていると安心することはできません。

「黒くて足が6本の昆虫が入っている」と確認し合っても、実は一方の箱に入っているものはクワガタかもしれないのです。

人と人とは理解し合えない?

この思考実験でのカブトムシは人間の心の例えであり、他人の心は当人にしか知り得ず、他人は何を考えているか知ることができないことの比喩となっています。

私たちは、怪我をして「痛い」という感覚は、全ての人間が同じように感じているものと思っています。

自分自身が怪我をした経験から、「痛い」という感覚を知っていますし、他の人も同じように怪我をした時に「痛そう」にしていることから、そのように思っているのでしょう。

ですが、自分自身はともかく、他人が「痛い」と感じていることは箱の中のカブトムシと同様に確実なことではありません。

他人が痛がっている様子は、実は全く痛みを伴っておらず、他人にとっては怪我をした場合に顔を歪めて負傷した部位を抑えることが普通だというだけなのかもしれないのです。


同様に、あなたが思っている「赤」という色も、他人が思っている「赤」とは別の色かもしれません。

私たちは普段の生活の中から「赤」という色を学び、普通に会話でも使用しています。

リンゴやポストが「赤い」というのは、全員の共通認識です。

しかし、そもそも人によって「赤」という色の認識が異なっていたとしても、誰も気づくことはできません。

ある人にとっては私の「赤」は「青」に見えているかもしれないのです。

しかし、他人には「赤」が別の色に見えていたとしても、その人にとっては別の色を「赤」とする世界が普通であるため、何の違和感もなく会話は成立します。

主観的な印象や感覚を完璧に共有することは不可能であり、人間同士が完全に分かり合えることはないのかもしれません。

日常会話での使用方法

「俺が見てる赤色とお前が見てる赤色って一緒なのかな」

「それはカブトムシの箱だね」

漫画でおさらい

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です