「神は存在するのか」という問いに、信仰ではなく理屈から答えようとする試みがあります。それが神の存在証明です。結論だけを眺めるより、何を出発点にして、どこで神という答えにたどり着くのかを追うと、哲学の面白さが見えてきます。
目次
神の存在証明は、どんな「証明」なのか
ここでいう証明は、神を望遠鏡で発見したという意味ではありません。世界の成り立ちや「神」という概念を手がかりに、その存在を論証することです。論証を読むときは、前提を受け入れられるか、そこから結論が導けるかを分けて考えます。
たとえば「この部屋にある本はすべて赤い。この本はこの部屋にある。だからこの本は赤い」という推論は、前提が本当なら筋が通ります。ところが最初の前提が違えば、同じ形の推論でも結論を保証できません。神の存在をめぐる議論でも、この区別が大切です。
宇宙論的論証:原因をたどると、どこに着く?
何かが変化したり存在したりする理由をたどり、その連鎖を支える根拠を問う考え方です。トマス・アクィナスは『神学大全』で、変化、原因、存在の必然性などから神を論じました。単に「宇宙が始まった日の直前に誰がいたか」を尋ねる議論に限られません。『神学大全』第一部・第二問
借りた道具で作業する人を想像してください。「その人は誰から借りた?」「貸した人も、さらに借りた?」と続けば、道具を使える理由の説明が先送りになります。この比喩から見えるのは、連鎖そのものを何が支えるかという問いです。
ただし、この道具の例で神が証明されたわけではありません。実際の論証では、どの種類の原因を考えているのか、連鎖に根拠が必要なのか、その根拠を神と呼べるのかが争点になります。
目的論的論証:世界の秩序に、意図を読み取る
自然が一定の仕方で働き、目的に向かうように見えることから、それを導く知性を考える論証です。アクィナスの第五の道も、この秩序に注目しています。『神学大全』の五つの道
机の上に部品が並んでいるだけなら偶然にも見えますが、組み合わさって時計として動いていれば、作り手を想像したくなります。その直感を自然全体へ広げてよいかが、一つの論点です。
人工物の作り手についての推論を、自然にそのまま移せるでしょうか。さらに、ある仕組みが役立っていることと、誰かがその目的のために設計したことは同じでしょうか。目的論という見方を考える入口にもなります。
存在論的論証:概念から、実在へ進めるか
アンセルムスは『プロスロギオン』で、これ以上に大きなものを考えられない存在として神を論じました。そうした存在が頭の中だけにあるなら、現実にも存在するものを考えたほうが、さらに大きいのではないか、という筋道です。『プロスロギオン』第二章
観察から始める二つの論証と違い、出発点は概念です。ここで気になるのは「現実に存在することを、大きさや完全さに加えられるのか」「考えられることから、実在を導けるのか」という点でしょう。
「最高のケーキ」を細かく定義しても、目の前にケーキが現れるわけではありません。ただ、この日常例だけでアンセルムスの議論が片付くわけでもありません。神に関する特別な定義が、なぜ通常のものと違う働きをすると考えられたのかを読む必要があります。
賛成か反対かを決める前に
三つの論証は、原因、秩序、概念という別々の入口を持っています。読んでいて引っかかったら、「前提が気になるのか」「推論のつながりが気になるのか」「結論でいう神の意味が気になるのか」を書き分けてみてください。疑問が具体的になると、議論を続けやすくなります。
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