「何でもできる存在」がいたとします。では、その存在は、自分自身にも持ち上げられない石を作れるでしょうか。
作れないなら、できないことがある。作れるなら、その石を持ち上げられない。どちらを答えても「何でもできる」に反するように見えます。これが、全能のパラドックスで有名な石の問題です。
目次
作れる場合と、作れない場合
| 答え | できないように見えること |
|---|---|
| その石を作れない | 自分にも持ち上げられない石を作ること |
| その石を作れる | 作った石を持ち上げること |
問いは短いのに、どちらにも出口が見つかりません。力の限界を超える大きな石の話に見えますが、核心は「全能」という言葉をどう定義するかです。
全知と全能は、違う能力
全知は、すべてを知っていること。全能は、力や実現する能力についての言葉です。石の問題が直接問うのは全能であり、知識の量ではありません。
石の重さを完全に知っていても、持てるかどうかは別です。知っていることと、できることを分けると、どの主張が問題になっているかがはっきりします。
「何でも」の中に、矛盾する要求も含める?
「四つの角がある正方形で、角が一つもないものを作ってください」と頼まれたら、何を作れば成功になるでしょうか。
普通の意味の正方形と、角が一つもないという条件は、同じ図形に同時には当てはまりません。技術が足りないのではなく、求める条件が両立していないのです。
全能の考え方の一つは、論理的に可能なことを実現できる能力として捉え、こうした矛盾した条件を実現対象に含めないものです。この見方では、全能であり続ける存在に「その存在が持てない石」を要求することも、条件の両立を調べる必要があります。
定義と石の問題への応答は、Stanford Encyclopedia of PhilosophyのOmnipotenceで論じられています。「全能」の意味を変えずに、どこまで一貫して説明できるかが論点です。
自分で力を捨てるなら、どうなる?
物語の中で、ある存在が今は大きな石を持てるけれど、自分の力を捨てた後には持てなくなる、と考えることもできます。
この場合は、「今できる」と「後でできない」が、違う時点の話になります。「ずっと全能である」という設定と、「全能を失える」という設定は別です。
能力が変化してよいのか、どの時点の能力について話しているのか。そこを決めないまま石を作る場面と持つ場面を行き来すると、問いの意味も動いてしまいます。
この問いだけで、神の存在が決まるわけではない
石の問題は、ある全能の定義を一貫して考えられるかを試す議論です。全能について異なる定義や応答があるため、この二択だけで、あらゆる宗教や神について存在・不在を結論することはできません。
哲学の思考実験として読むなら、まず「今はどんな意味で全能を使っている?」と問い直してみましょう。結論だけより、言葉の条件を動かすところに面白さがあります。
アプリの仕様でも、要求の両立を調べる
たとえば説明用に、「回答は一切記録しない」と「アプリを閉じても、すべての回答履歴を表示する」という仕様を、同じデータについて同時に要求したとします。
どこにも記録がないのに、過去の回答をすべて再表示することはできません。まず必要な機能を絞るか、記録の扱いを決め直す必要があります。「難しい実装」と「前提が両立しない実装」を分けるのです。
これは石の問題そのものの解決ではなく、条件の整合性を見るための身近な例です。万能という言葉を使わなくても、要求を一つずつ並べる作業は役立ちます。
「できる?」の前に、成功の条件を考える
全能のパラドックスは、巨大な力の比べ合いから、何を実現と呼ぶかという言葉の問題へ、視点を移してくれます。
二つの条件を同時に満たす対象は、そもそもあるのか。どの時点についての話なのか。そこを考えると、行き止まりに見えた問いを、違う角度から読み直せます。
条件の整理は必要条件・十分条件、自己言及の矛盾はラッセルのパラドックスでも紹介しています。
