『サピエンス全史』に学ぶ反出生主義という考え方とは?

人類が地球上で最も繁栄した生物であることに異論は無いでしょう。

約20万年前に東アフリカの地で誕生した現生人類は、誕生から15万年間はアフリカの地で生活していたとされています。

しかし、今から5~6万年前に人類は地球上の各所に進出を開始し、今や人類は世界中の居住可能な全ての地域に生息しています。

人類は知恵を武器に、食物連鎖の頂点に立ち、自然をもコントロールする力を手に入れました。

現在の世界の人口は75億人を超え、今も増加を続けています。

しかし、地球上で最も繁栄した生物である人類は、最も幸福な生物と言えるのでしょうか。

ここでは、ユヴァル・ノア・ハラリの名著『サピエンス全史』を引用しつつ、繁栄という概念について考察し、反出生主義という考え方を紹介したいと思います。

家畜の繁栄は幸福か?

今から約1万年前、人類は狩猟と採集を主として生活しており、日々獲物を追いかけたり、植物を採集したりして暮らすという、いわばその日暮らしの生活をしていました。

しかし、紀元前9500~8500年頃に、農耕革命と呼ばれる変化が起き、人類は農業により、小麦などの植物を管理・育成することに成功しました。

以降、人類は小麦の世話を焼くことに力を注ぎ、色々な場所で、一生懸命に小麦を育てるようになります。

中東の一部地域でだけ生息していた小麦は、人類の生活のための道具となることで、今や世界中で繁栄することに成功したのです。

同じように、人類の力を借りて世界中で繁栄した生物がいます。

それは、牛やブタ、ニワトリなどの家畜と呼ばれる生き物たちです。

家畜となっている動物は、生存競争において有利になるような特別な能力を持っている訳ではありません。

しかし、その乳や肉、卵は人類にとって非常に有益な役割を果たします。

その結果、小麦の例と同様に、牛やブタ、ニワトリなどの動物は家畜として世界中で飼育され、その他の野生動物とは比較にならない程の数の個体が世界中に生息しています。

人類の道具となるという歪な方法ではありますが、ある意味では繁栄に大成功したと言えるでしょう。

しかし、果たしてこうした家畜は幸福なのでしょうか?

答えはもちろんNOです。

家畜化された動物は、野生の動物のような自由な生活はできず、殺されるために生まれてきます。

『サピエンス全史』には以下のように記載されています。

野生のニワトリの自然な寿命は七~一二年ぐらいで、牛の場合は二〇~二五年ほどだ。(中略)それとは対称的に、家畜化されたニワトリや牛の大多数は、生後数週間から数か月で殺される。経済の視点からこれまでずっと、殺すにはそれが最適だったからだ(もしオンドリが三か月で体重の上限にすでに達するのなら、三年も餌をやり続けてもしかたないではないか)。

このように、人間の都合の良いように生かされ、殺される家畜の一生が幸せだとは誰も考えないでしょう。

また、筋肉を付けさせず柔らかい肉にするために狭い檻に閉じ込めたり、繁殖の管理の為に去勢したりなど、人間は家畜に様々な酷い仕打ちを行っています。

『サピエンス全史』には様々な例が記載されていますが、以下はその一例です。

ニューギニアの多くの社会では、人の豊かさは昔から、所有しているブタの数で決まる。ニューギニア北部の農耕民は、ブタが逃げ出さないように、鼻先を削ぎ落とす。こうすると、ブタは匂いを嗅ごうとするたびに、激しい痛みを覚える。ブタは匂いを嗅げないと食べ物を見つけられないし、ろくに歩き回ることさえできないので、鼻先を削ぎ落とされると、所有者の人間に完全に頼るしかない。ニューギニアの別の地域では、行き先が見えないように、ブタの目をえぐる習慣がある。

都会で家畜の恩恵を受けるだけの私たちは普段意識していませんが、人類は家畜に対して目を覆いたくなるような仕打ちをしています。

確かに家畜は繁栄することに成功しましたが、種としての繁栄と、個体としての幸福は別物だということがわかります。

人類と家畜に違いはあるか?

冒頭で述べた通り、人類は最も繁栄した種と言って良いでしょう。

しかし、果たして人類は幸福なのでしょうか?

幸福だ、と即答できる人は少ないと思います。

通常の日本人は週のうち5日を労働に充て、決められた時間(時にはその時間を超えて)働きます。

通勤電車に疲れ果て、平日には自由時間もほとんどありません。

休日もわずか2日しか無く、それが終わるとまた仕事の日々が始まるため、旅行に行くのも一苦労です。

生きるために、嫌な上司の指示に従いながら、毎日業務を繰り返し、定年までの40年間稼ぎ続けなければなりません。

ようやく定年を迎え、自由を手に入れた時にはもう体は昔のようには動きません。

また、年金の支給開始年齢が70歳に引き上げられるという噂もあります。

もちろん生きていると楽しいこともありますが、人生の大半は我慢や苦労の連続のように思えます。

人間に虐げられている家畜ほどではありませんが、最も繁栄している人類でさえ、幸福な一生を送っているとは言えません。

反出生主義とは?

そこで登場するのが、反出生主義という考え方です。

反出生主義とは、子供を産むことに反対する立場で、人生には嫌なことの方が多く、そもそも人間は生まれない方が幸せだという考え方です。

上記で確認したように、人生にはつらいことが多いです。

また、反出生主義者は、楽しいことがあったとしても、避けられない苦難である怪我や病気、死の苦しみを上回るものではないと考えています。

生まれた瞬間に死ぬ運命が確定しているにも関わらず子供を産むことは、言われてみれば残酷な気がします。

注意すべき点は、反出生主義者は、今すぐに人類を絶滅させろと主張しているのではないということです。

既に生まれてしまった人間を殺すことには、苦痛が伴います。

そうした苦痛を避けつつ、新たな不幸を生まないためにも、子供を産まないことで人口を緩やかにゼロにすることが、反出生主義者の理想なのです。

所感

『サピエンス全史』は、繁栄が幸福に繋がらないことを教えてくれました。

人生にはつらいこともありますが、楽しいこともまあまあ多いです。

私自身は反出生主義者ではありませんし、この記事で読者に反出生主義者になることを勧めたい訳でもありません。

しかし、こうした考え方があることを知っておくと、今後の人生設計の役に立つときが来るかもしれません。

2 Replies to “『サピエンス全史』に学ぶ反出生主義という考え方とは?”

  1. My impressions is because the food chain is born to live all the animals and not only human beings. When I was born anti-birth, I wondered where happiness would increase.

  2. I agree with the opinion that not only human but animals live on the food chain in nature.

    I also think life is beautiful.
    The idea of anti-birth deprives baby’s hopeful life.

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