悪魔の証明とは?「ないことは証明できない」の落とし穴

「存在しないと証明できないのだから、存在するかもしれない」。そう言われると、反論しづらく感じることがあります。悪魔の証明は、ないことを示す難しさを表す言葉です。ただし、そこから「ないことは一切証明できない」と考えると、話がずれてしまいます。

悪魔の証明とは

悪魔の証明は、一般に、存在しないことや起きていないことを証明するのが難しい状況の比喩として使われます。典型は、探す範囲がとても広く、どこまで調べれば十分か決められない場合です。

「この部屋に青いペンがある」なら、一本見つければ示せます。「世界のどこにも青いペンがない」なら、調べる範囲がはるかに広くなります。一つの発見で決まる主張と、対象をすべて確認する必要がある主張では、負担が違うのです。

「ない」と証明できる場合もある

範囲と条件が明確なら、不在は確認できることがあります。空の透明な箱に硬貨がないことは、その箱を調べればよいでしょう。五枚だけのカードを全部確認し、赤いカードがなければ、その五枚の中にはないと言えます。

数学でも、0より大きく1より小さい整数は存在しません。整数の性質から示せるので、世界中を探す必要はありません。

主張確認のしやすさ
この箱に硬貨がない箱の中という範囲を調べられる
この記録に特定の文字がない記録全体を検索できる
誰にも観測できない存在が、どこかにいる調べる範囲や検出方法を決めにくい

「ない」の一語だけで難しさは決まりません。何を、どこで、どの方法で確認するかが重要です。

否定できないことは、肯定の証拠なのか

ラッセルの「Is There a God?」には、地球と火星の間で、望遠鏡では見えない小さなティーポットが太陽を回っている、という例があります。否定しづらいように条件を付けたとしても、それだけで信じる理由が得られるかを問う比喩です。

同じ構造は、「この道具には、観測できない特別な力がある」といった主張にも現れます。確かめる方法がないなら、反対側が否定できないことより、主張する側にどんな理由があるかを尋ねる必要があります。

もちろん、まだ証拠がないことと、絶対に存在しないことは同じではありません。ただ、どちらも確定できない状態を、存在するという結論へ勝手に変えることはできません。

調べて見つからなかった結果にも、意味はある

一方、「見つからないのは何の証拠にもならない」と決めるのも極端です。あるはずなら容易に見つかる条件で、繰り返し調べても見つからなければ、主張を疑う理由になります。

たとえば、机の上に大きな赤い箱があると言われたとします。明るい部屋で机全体を見てもないなら、見落としにくい条件で探した結果です。反対に、暗い部屋で一瞬見ただけなら、その結果の重みは小さくなります。

不在の確認では、探したという事実だけでなく、そこにあれば検出できたはずかを考えると、議論が進みます。

アプリの「不具合がない」にも通じる

アプリを何回か動かして問題がなかったとしても、すべての端末や操作に不具合がないとは言えません。だからといって、確認が無意味なわけでもありません。

入力の種類、対象端末、通信の状態など、確認する範囲を決めれば、その範囲で何を確かめたかを説明できます。「絶対に何も起きない」より、「この操作と条件で確認した」の方が、次の判断に使えます。

話を前へ進める三つの確認

  • 範囲を決める。いつ、どこで、どの対象について話しているか。
  • 証拠を具体化する。あれば、どんな観測や記録が得られるはずか。
  • 結論をそろえる。未確認、可能性が低い、不在を確認した、を混ぜない。

悪魔の証明という言葉は、議論を打ち切るためにも使えてしまいます。でも、本当に役に立つのは、その難しさを分解するときです。何なら確かめられるのかを決めれば、途方もない問いにも、具体的な次の一歩を作れます。

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