賞金の期待値が無限なら、いくら参加費を払っても得なのでしょうか。そんなゲームを説明されても、全財産を出す気にはなれないはずです。サンクトペテルブルクのパラドックスは、数学上の平均と、人が感じる価値の間にあるずれを問いかけます。
目次
まずは、コインゲームのルール
公平なコインを、初めて表が出るまで投げます。初めて表が出たのが1回目なら2円、2回目なら4円、3回目なら8円。n回目なら2のn乗円をもらえるとします。裏が続くほど、賞金は倍になります。これは金額の仕組みを考えるための架空のゲームです。
| 初めて表が出る回 | その結果の確率 | 賞金 | 期待値への寄与 |
|---|---|---|---|
| 1回目 | 1/2 | 2円 | 1円 |
| 2回目 | 1/4 | 4円 | 1円 |
| 3回目 | 1/8 | 8円 | 1円 |
| 4回目 | 1/16 | 16円 | 1円 |
| n回目 | 1/2のn乗 | 2のn乗円 | 1円 |
なぜ期待値が無限になる?
期待値は、それぞれの結果の金額に、その確率を掛けて足すことで求めます。このゲームでは、どの回も「賞金×確率」が1円です。回数に上限を設けなければ、1+1+1+……と足すことになり、期待値は有限の値に収まりません。
ここで、無限の賞金が出る結果に、小さな正の確率を割り当てているわけではありません。理想的なモデルでは、裏が永遠に続く確率は0です。それでも、どれほど遅い回に表が出る結果にも、有限ながら非常に大きな賞金があり、その寄与を全部足すと発散します。ほぼ確実に有限の賞金で終わることと、有限の期待値を持つことは別なのです。
人はいくら払いたいと思う?
金額の期待値だけを最大にするなら、どんな有限の参加費を差し引いても、期待値は無限のままです。しかし、実際には大金を払って参加したいとは感じにくいでしょう。多くの場合は少ない回数で終わり、わずかな賞金しかもらえないからです。
ダニエル・ベルヌーイは、1738年の論文でこの問題を論じ、同じ金額でも、持っている財産などによって価値が変わるという効用の考え方を示しました。ベルヌーイの論文の英訳では、この議論を読むことができます。お金の額の平均と、生活にとっての価値の平均は、同じではありません。
賞金に上限をつけると、どう変わる?
最大4回で終了し、1〜3回目の表には2・4・8円、4回目まで進んだら結果にかかわらず16円、とルールを変えてみます。各結果の確率は1/2、1/4、1/8、1/8です。期待値は2×1/2+4×1/4+8×1/8+16×1/8=5円になります。
無限のモデルへ上限を入れたので、別のゲームになりました。現実の賞金や回数が有限なら、その具体的な条件で計算する必要があります。期待値が無意味なのではなく、どんなモデルを計算しているかが大切なのです。
平均だけでは、選択は決まらない
同じ平均でも、結果のばらつき、必要な参加費、失った場合の影響、支払われる確実さは違います。ゲームを設計するときにも、「平均の報酬が大きい」だけで楽しくなるとは限りません。ほとんどの人が小さな報酬で終わるなら、平均と実感がずれることがあります。人の選択を別の角度から見るプロスペクト理論も、あわせて読むと面白い話です。
有限の結果と、有限の期待値は別
この模型では各有限回で止まったときの賞金は有限です。それでも、可能な結果全体を確率で重み付けして足すと期待値は発散します。「無限の期待値」は、ある参加者が無限円を受け取るという意味ではありません。
| 対象 | 見るもの | このゲーム |
|---|---|---|
| 一回の賞金 | 実際に止まった回数 | ほぼ確実に有限 |
| 期待値 | 全結果の賞金×確率の和 | 上限なしの模型では発散 |
