『利己的な遺伝子』に学ぶ人が生きる意味とは

人は何のために生まれたのか

なんのために生まれて なにをして生きるのか

アンパンマンのマーチ

子供の頃から何度も聞いてきたこの問いに答えられる人はどれぐらいいるでしょうか。

子孫を残すため、大切な人を守るため、自分が幸せになるためなど、様々な考え方があるでしょうが、どれも唯一の正しい解であるようには思えません。

わからないまま終わる、そんなのは嫌ではないですか?

この問いに対して、イギリスの生物学者であるリチャード・ドーキンスは『利己的な遺伝』という著作で1つの答えを示しています。

子孫を残すことが目的ではない

人が生きる意味は何かと問われた場合、「子孫を残すため」という回答が一般的でしょう。

人間は生まれながらにして自分の遺伝子を残したいという欲求を持っており、多くの人は自然に異性を好きになり、子供を産みたいと思うものです。

そうした本能があるからこそ、全ての生物はこれまで生き続けてきましたし、これからも存続していくでしょう。

しかし、ドーキンスは、子孫を残すことは生きる「目的」なのではなく、ただの生存競争による「結果」だとしています。

生命の始まり

ヒトやイヌといった動物は、思い通りに動く手足や体を健康に保つための臓器など、高度な仕組みを持っています。

ですが、こうした生物が現れたのは、地球の歴史から見ると最近で、生命の始まりは単純な原子の構成に過ぎませんでした。

大昔の地球では、様々な原子同士が結びついて分子を構成したり、離れたりを繰り返していました。

基本的には原子の構成である分子は不安定で、新しく出来てもすぐに分裂してしまいます。

しかし、中には安定した組み合わせも存在し、そうした組み合わせによって構成された分子は、長い間残り続けます。

時間が過ぎていくと、より安定した分子のみが残っていきます。

そして、分子は原子の組み合わせにより、早く動けるものや、熱に強いもの、すぐに大きくなるものなど、様々な性質を持ちます。

そうした様々な能力を持つ分子も、時が経つにつれて古くなり、やがて分解されてしまいます。

生命の始まりは、こうした分子の単純な構成と分解に過ぎませんでした。

しかし、あるとき偶然、非常に特殊な性質を持つを持つ分子が現れます。

自己複製子の誕生

「自らの複製を作る性質」を持つ分子が誕生したのです。

ここでは、こうした分子を『利己的な遺伝子』に倣って、自己複製子と呼ぶことにします。

その他の様々な分子は寿命がきたら分裂してしまいますが、自己複製子は自分の分身を作ることで、寿命がきても長期間生き残ることが可能です。

そして、自己複製子は長期間生き残り、その性質を活かして地球上にどんどん増殖し続けます。

当然ですが、ただの原子の構成である自己複製子に、生き残りたいという意思は無く、たまたま自己を複製することのできる性質を持つ分子が生き残り続けているということになります。

自然淘汰(しぜんとうた)

自己複製子と言えど、無限に増え続けることはできません。

その他の自己複製子との生存競争に負けるなど、自分の分身を作る前に死んでしまえば生き残りません。

そして、自己複製子は全て同じという訳ではなく、個体ごとに様々な性質を持つものが存在します。

効率良く外部からエネルギーを取り込めるものや、一度に複数の複製を行うことができるものなど、自己の複製を有利に進める性質もあるでしょうし、寿命が短いものや1回しか複製を行うことができないなど、生存に不利な性質もあるでしょう。

当然、弱い性質を持つ自己複製子は生き残ることができず、自己の複製に有利な性質を持つ自己複製子のみが生き残ります。

これを自然淘汰と呼んでおり、ダーウィンはこの自然淘汰によって生物は生存に有利なように進化していくと発見しました。

ここで重要なのは、生物は生存に有利な進化をしようという意思を持って進化したのではなく、生存に有利な個体がたまたま生き残りやすかっただけだということです。

つまり、キリンは首を伸ばそうとして首を伸ばしたのではなく、首が短かったキリンは生存競争に負けて減っていき、首の長いキリンだけが生き残っただけだということです。

このようにして、自己複製子は生存に有利なように、自らを進化させていきます。

全ての生物は自己複製子の延長

そして、何億年という時間をかけて自然淘汰を繰り返し、自己複製子は生存競争に生き残るのに特化した様々な能力を手に入れていきます。

外部の情報を取り込むための目や耳、エネルギーを効率良く体に取り込むための消化器官、自分以外の情報を取り込んで強い遺伝子を残すための性別などは、どれも自分の複製を残すのに有利な仕組みです。

ヒトを含む全ての生物は、このように自己複製子が自然淘汰によって進化した結果なのです。

そこには生物の個体自身の意志は存在せず、自己複製子によってプログラムされたDNAの情報と、自然淘汰の結果があるのみです。

自然淘汰によって生き残ったDNAによるプログラムに基づき、生物は構成されます。

視覚情報や聴覚情報を得ることができるのは、危険を察知したり獲物を見つけたりするのに役立つためであり、ご飯が美味しいのは、その方がエネルギーを体に取り込めるからであり、セックスが気持ち良いのは、その方がより多くの子孫を残すことができるからです。

全ての生物が本能として子孫を残したいという欲求を持っているのも、そうした行動原理を持っている個体が自然淘汰によって生き残ったからです。

つまり、人の生きる目的が子孫を残すことなのではなく、生存競争による自然淘汰が行われた結果、子孫を残したいという欲求を持った人が生き残ったというだけなのです。

逆に言えば、人が生きる意味や目的など何もないのです。

「人が生きる意味は何か」という最初の問いの答えは「解なし」です。

悲しい結論に思えますが、唯一の正しい答えが無いということは、どんな人生でも正解だとも言えます。

「人が生きる意味は何か」の答えは、それぞれの心の中にあるのでしょう。

また、以下記事では、生物学的な観点から男女の恋愛観がどのように異なるかを考察しています。

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