テセウスの船は、古代ギリシャの哲学者プラトンが記述した思考実験であり、アイデンティティと物の本質に関する哲学的な問題を扱っています。
この問題は、物がその構成要素や形状を変えたときに、それがもともとの物と同じであると見なすことができるかどうかについて議論します。
この記事では、テセウスの船に関する物語を紹介し、さまざまな哲学的視点からこの問題に取り組む方法を検討します。
目次
テセウスの船とは
テセウスの船とは、ある物体の構成要素が全て入れ替わった時に、その物体は元の物体と同じものだと言えるかという問いかけです。
テセウスの船の物語は、アテナイの英雄テセウスが乗った船に関連しています。
彼の船は、アテナイの港に保存され、その後何百年もの間手入れされました。
船の木材が劣化するにつれて、新しい木材と交換されていきました。
ある時点で、船の最初の部品が全て入れ替わってしまったとして、その船は元の船と同一であると言えるのでしょうか?
また、船が同一の船でなくなるとしたら、どの時点でその船ではなくなるのでしょうか?
船の全体の構成物が入れ替わっているため、元の船とは同一でないと言えるように思えます。
しかしその一方で、全体としては常に元の船の一部をキープし続けているため、元の船と同一とも考えられます。
どちらの解釈も正しそうに思え、判断が非常に難しいです。
身体とアイデンティティ
テセウスの船のパラドックスは、人間の身体とアイデンティティに関する問題にも関連しています。
人間の身体は、細胞が絶えず死んで新しい細胞が生まれることで、時が経つにつれて物質的に変化していきます。
時が経てば、元の細胞は全て入れ替わってしまうでしょう。
このことから、私たちのアイデンティティは、私たちの身体の物質的な構成ではなく、他の要因によって決まると考えられることがあります。
アイデンティティに関係する似たような話として、スワンプマンを以下の記事で紹介しています。
哲学的視点
この問題に対する答えは、哲学者によって異なります。以下では、この問題に対処する主要な哲学的アプローチをいくつか紹介します。
原質主義(Substance Theory)
原質主義者は、物のアイデンティティはその物質的構成によって決まると考えます。
この視点から見ると、船のすべての部品が交換された場合、それはもはやテセウスの船ではないと考えられます。
プロセス哲学(Process Philosophy)
プロセス哲学者は、物のアイデンティティはその変化とプロセスによって決まると主張します。
この見解では、部品が徐々に交換されるプロセスを通じて船のアイデンティティが維持されるため、船はまだテセウスの船と見なされます。
形而上学的実在主義(Metaphysical Essentialism)
形而上学的実在主義者は、物のアイデンティティはその本質的な特性によって決まると考えます。
この視点では、テセウスの船の本質的な特性が維持されている限り、船はテセウスの船と見なされます。
しかし、本質的な特性が何であるかについての合意は難しく、この問題に対する明確な答えは提供されません。
機能主義(Functionalism)
機能主義者は、物のアイデンティティはその機能や役割によって決まると主張します。
この観点から、船の部品が交換されても、それが同じ機能を果たしている限り、船はテセウスの船と見なされます。
現代哲学とテセウスの船
現代の哲学者は、テセウスの船のパラドックスを、人工知能やアップロードされた意識などの現代的な問題と関連付けて考えることがあります。
例えば、人間の脳がニューロンごとにコンピュータに置き換えられた場合、その人物はまだ同じ人物と見なされるのでしょうか?
このような問題は、アイデンティティや意識に関する哲学的議論を続ける上で興味深いものです。
テセウスの船と物の永続性
テセウスの船のパラドックスは、物の永続性に関する哲学的な問題にも関連しています。
物の永続性とは、時間の経過によって変化する物が、そのアイデンティティを保ち続けることができるかどうかという問題です。
この問題は、人間のアイデンティティや自己同一性に関する哲学的議論とも関連しています。
まとめ
テセウスの船は、物のアイデンティティと本質に関する哲学的な問題を提起します。
この問題は、さまざまな哲学的視点から検討され、物のアイデンティティが物質的構成、変化とプロセス、本質的な特性、または機能によって決まるかどうかに関する議論を引き起こします。
現代の哲学者は、このパラドックスを現代的な問題、特に人工知能やアップロードされた意識と関連付けて考察することで、アイデンティティと意識に関する哲学的議論を続けています。
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