カリーのパラドックスは、自分自身に触れる条件文を使うと、無関係な結論まで証明できたように見える問題です。嘘つきのパラドックスと似ていますが、中心に「偽である」という否定を置かなくても起こる点が特徴です。
不思議な一文Cを作る
C:もしこの文Cが真なら、月はチーズでできている。
結論の内容は、ほかの主張に置き換えても構いません。ここでは、実際には正しくない例として「月はチーズでできている」を使います。文を作っただけで月の材質が変わる、という話ではありません。
「Cが真であること」と「Cが述べている内容」を自由に行き来でき、通常の条件文の推論も認めると、次の奇妙な道筋ができます。
どこで結論が出てしまうのか
- いったん「Cは真だ」と仮定する。
- Cの内容から「Cが真なら月はチーズである」が得られる。
- 仮定と条件文を合わせると、「月はチーズである」が出る。
- 仮定の下でその結論が出たので、「Cが真なら月はチーズである」と言える。
- ところが4の文は、まさにCの内容である。ここからCは真だと扱う。
- 4と5を合わせると、仮定の外でも「月はチーズである」が出る。
3までは仮定の中の話ですが、4で条件文にまとめ、5でそれ自身を真と扱うところが輪になります。単に「月はチーズだ」と最初から仮定した推論とは違い、真理についての素朴な規則と条件文の組み合わせが問題になるのです。
普通の「もしPならQ」が悪いわけではない
「もし雨なら道が濡れる」「雨だ」「だから道が濡れる」という推論は、条件文から結論を取り出す基本的な形です。カリーの問題では、そこへ自己言及する文と、真理を自由に扱う原則が加わります。
その組み合わせから、どんな結論でも出せるなら、正しい説明と間違った説明を区別する体系として役に立ちません。これを避けるため、真理を語れる範囲や、条件文の推論規則などを精密に設計する必要があります。
嘘つきのパラドックスとの違い
| 用語 | 文の形 | 目立つ問題 |
|---|---|---|
| 嘘つき | この文は偽である | 真と偽が衝突する |
| カリー | この文が真ならQ | 任意のQを導けてしまう |
否定だけを修正して嘘つきに対応しても、カリーが残る場合があります。似た不思議な文でも、何を使って矛盾や不都合な結論を生むのかは違います。
「自己言及を禁止すれば解決」で終わる?
自己言及を制限するのは一つの方向です。ただ、日常語や数学では、自分の文や規則について述べること自体に用途があります。便利な表現をどこまで残し、どの制限を導入するかが課題になります。
すべての自己紹介や、プログラムの再帰処理が、このパラドックスになるわけではありません。特定の真理原則と推論規則を同時に採用したときの問題として読む必要があります。
図形の「消えた面積」とは別の話
図形を並べ替えると面積が消えたように見えるパズルにも、カリーの名が付くものがあります。ここで扱ったのは、論理学者ハスケル・カリーに結びつく論理のパラドックスです。名前が同じでも、問題の仕組みは異なります。
似た用語と読み比べる
嘘つきのパラドックスから読むと自己言及をつかみやすくなります。トートロジーは常に真になる式の話で、何でも事実として証明できるという意味ではありません。
知識・証明・自己言及のパラドックス10選では、問いの違いを一覧で比較できます。